こんにちは。ろんです。
今回は、なぜ人はスポーツを観るのか、大人になって分かったことを紹介します。
先日、ワールドシリーズが開幕しました。
ドジャース対ヤンキース、大谷対ジャッジ。
近年、野球人気が低迷していたアメリカでも今回の対戦カードの注目度は高く、連日メディアを騒がせています。
大谷のプレーオフ進出は、2018年のメジャーデビューからアメリカ野球界が待ち望んでいたものです。
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Shohei Ohtani Seeks Admission to the 50-50 Club. He’ll Be the Only Member.(The Wall Street Journal)
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The October of Ohtani Has Finally Arrived (The Wall Street Journal)
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Shohei Ohtani’s Season Started in Scandal. It’s Ending in the World Series. (The Wall Street Journal)
今シーズンの大谷の活躍は目覚ましいものでした。
前人未踏の50ホームラン-50盗塁を達成し、3回目のシーズンMVPが確実視されています。
「大谷がこんなに足が速いとは思わなかった」
同僚のアメリカ人は、打つ、投げる以外に走る才能が大谷にあったことに驚いていました。
足がただ速いどころか、2001年にあのイチローが記録したシーズン56盗塁を塗り替え、59盗塁を記録しました。
今シーズン初め、元通訳の賭博問題により精神的な負担があったにも関わらずこの活躍です。
2023年のWBCでトラウトのいるアメリカを破り、今回ジャッジのいるニューヨーク・ヤンキースを倒せば、まさに野球漫画のような物語が完結します。
大谷は誰もが憧れるスターです。
しかしながら、最近は子どもの時ほどそんなスターに熱狂できない自分がいるのです。
大谷以上に感情移入してしまう選手がいます。
読売ジャイアンツ所属の左のワンポイントリリーフ、高梨選手。
主にピンチの場面で、相手の左バッター専門で短いイニング登板します。
なぜか考えてみると、学生時代に学んだある言葉が思い浮かびました。
当時はピンと来ませんでした。
スポーツそのものに価値がある、試合の展開、一瞬のプレーが面白いから観ている、そう思っていました。
以下、田崎氏の説明。
私はサッカー選手では、メッシが好きでした。
今でも彼のような、一瞬で試合を決められる選手は観ていて楽しいですが、最近日本代表ではそんなスター選手、つまり久保選手や三苫選手ではなく、南野選手に目が行ってしまいます。
つまり、私は自分に特別な才能がないことに気づけるくらい大人になったのだと思います。
補足すると、南野選手はセレッソ大阪時代からエリート街道まっしぐらのスター候補でした。しかし、名門リバプールへの移籍やフランスリーグでの苦労を経て、爽やかな風貌に似合わず、がむしゃらに相手を追いかけ回し、球際では泥臭くプレーします。かつての岡崎選手のように。カタールワールドカップ後は日本代表の10番も剝奪されてしまいましたが、不死鳥のごとく日本代表に戻って活躍しています。
高梨選手や南野選手は、スポーツ界で自分の居場所を探し、それを守るために精一杯仕事をしています。
そんな姿に感情移入してしまうのです。自己を投影してしまうのです。
皆、幼い頃は主人公でした。
ですが、私たちのほとんどは大谷にもメッシにもなれません。
私も毎日の仕事で、なんでも屋として潤滑油として、精一杯働いています。
世の中にある自分の居場所を必死で守っています。
それでも仕事終わりには、今日も大谷選手がワールドシリーズ制覇できるように応援する予定です。
自分にはなれなかったもう一人の自分を投影しながら。
以上、今回はなぜ人はスポーツを観るのか、最近になって分かったことを紹介しました。
この記事とは直接関係ありませんが、田崎氏といえばこの本も面白いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
ろん