こんにちは。ろんです。
今回は、私の周りにいる変な友人について、紹介したいと思います。
過去の記事(大学受験を控えた高校生へ)において、浪人という選択肢について言及しました。
大学受験の準備は、育った家庭や通っている学校により人それぞれなので、私のように体調が壊れるほど無理はせず、勉強期間をしっかり確保して納得のいく受験勉強をしてくださいという趣旨がありました。
その考えに至った背景に、3浪を経て大学に入学した友人がいます。
彼と出会ったのは大学1年生の初め、語学のクラスでした。
クラスの前に出てそれぞれ自己紹介することになり、
「3浪していて21歳ですが、同じ学年なので仲良くしてください」
と、最初の印象は物腰柔らかく、優しそうなお兄さんだな、というものでした。
それと同時に、クレヨンしんちゃんの世界にいた多浪生が、現実の世界にいるんだと思い、興味が湧いてきました。
授業が終わると、「3浪するって大変でしたか」と彼に近づき、浪人時代の話、フットサルサークルを探している話、ラーメン二郎が好きな話等をしているうちに、彼の一人暮らししている家に遊びに行くことになりました。
高校のアルバムを見ながら、「空白の3年間」の話をしてもらいました。
彼は田舎のヤンキー校出身でした。ある時、受験ブログを読んでこのままでは人生マズイと、一念発起します。
勉強のやり方さえわからない彼は、ブログを頼りに独学で勉強を始めます。来る日も来る日も地元のベローチェに篭りました。
帰り道にTSUTAYAでアダルトビデオを借りて帰るのが唯一の楽しみでした。
中学レベルからのスタートだったため、合格ラインに達するのには時間がかかりました。周りが成人を迎え大人になっていくなか、難関大の赤本をベローチェの机に置くことで、なんとか自分の尊厳を守っていました。
このまま受からない可能性を考えると焦りはなかったのか、そう尋ねると、
「受かるまでやるつもりだったから、年齢は特に気にしていなかった。毎日目標があって楽しかった」。
彼と比べると自分はなんて小さい人間なんだと思いました。
私には浪人する勇気もなく、こうやって浪人した彼に話を聞くことで、現役合格したという小さなプライドを守っていました。
彼とはその後も仲良くなり、一緒にフットサルサークルに入りました。
1年生の冬、悲劇が起こります。
コーナーキックの練習中、ポジション取りで味方選手と衝突し、半月板を損傷します。
それにも関わらず、幹事長含めサークルのメンバーは、ちょっと休んでおけよと、捻挫したときのような反応でした。
私もその場にいましたが、歩いている最中に足が引っかかっただけだったような、何か大きな音が聞こえたような気がしました。
彼は練習後、すぐに病院に向かい、緊急手術を行うことになりました。
本田圭佑と同じ箇所でした。
そこから数か月、キャンパスで彼の姿を目にすることはなくなりました。
期末試験になり、熊のように肥えた彼が現れました。
リハビリでキャンパスに通えなかったから、治験のバイトをしていたそうです。
もちろん出席回数が足りず、大きく単位を落としました。
結局、1年留年します。
月日は流れ、5年生の春、満を持して就活に臨みました。
自己PRは学園祭の捏造エピソード。
苦境を打開するアイデア、実行に移すリーダーシップ。
この時点で、現役ストレートの学生と比べると4歳年上です。
5年目の若手エース社員と同い年です。
もちろん日本の大企業に彼の自己PRは響くことはなく、お祈りメールばかりが届きました。
彼は諦めませんでした。
必ず大手企業の内定を取ると、100社以上にエントリー。
書類選考、Webテストで落とされた企業へは面接をしてほしいと会社に直談判しに行きました。
苦労した末に、ついに世界的に有名な外資系企業から内定を勝ち取ります。
就職後は、会社のブランドを使って合コン三昧、もちろんハードワークしながらです。
彼曰く、「底辺からの逆転劇」、ここに完結です。
ところが、コロナ禍を経て久しぶりに会うと、新卒で入った会社を退職し、フードデリバリーサービスの配達員になっていました。
司法試験に向けた挑戦を始めたようです。
耳で授業を聴きながら、運動しながらお金までもらえて、配達員は一石三鳥だと嬉しそうです。
彼にとって、3年間の浪人生活、学生生活、新卒カードはどのような意味があったのでしょうか。
世の中には自分の価値観では想像できない人がたくさんいます。
自分の人生、他人と比べることなく後悔ないように生きたいです。
以上、私の周りにいる変な友人について紹介しました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
ろん